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社会制度公共空間テクノロジー
2018.5.16

進化と実験
〜ルールとコモンズをめぐる日々の学び(201701005)

〜このコラムは、RuleとCommonsに関する気づきなどをつらつらと書く、気まぐれな日記のような連載です〜
林厚見(東京R不動産/SPEAC)




僕が好きで大尊敬する先輩の一人に、安宅和人さん(ヤフーCSO、脳神経科学者)がいる。彼がかつて、日本の「道」のルールについて意見を書いていて、なるほどなあ、と思った。(これ http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20160904/1472938778)

いわく、日本で自動運転の実用化が欧米などと比べて圧倒的に遅くなりそうなのは、道のあり方に原因があると。例えば、

「ものすごく狭い道で、双方向通行することが物理的に不可能なのに、標識上は双方向可能な道がある」

「向かいのクルマに乗っている人との表情や身振りによるやり取りをしながら本来クルマが通ってはいけない人の家の敷地とかに乗り上げたり、場合によっては10メートルバックしたりしてこれまた本来道ではないところ(人の所有地)を活用したりしなければならない。こういうことは自動運転車にとって極めて難しい」

つまり「公共の道なのに非合法な通行をしなければ通れないような道幅の道が多く出来てしまっている」

「本来、双方向通行を安全に行うために必要な道幅を確保できないのに、住民の声で道を通す。住民は自分の利権は守ろうとする、そして国や自治体はそれに気配りして変な道ができる」

「このように過度のおもてなし(慮り、気配り、配慮)が日本の未来を阻害している」と。

そして、いっそのこと、「道も一方通行なら3メートル、双方向だったら6メートルの幅がなければクルマを通さない、通すときは利権者は土地を吐き出すことにしてしまう。国や自治体は過度の気配りを止める」という提案をしている。

その安宅さんは最近別の記事(https://industry-co-creation.com/industry-trend/22587)で、こういうことを言っていた。

「アメリカが強いのは、ブラックリスト方式で、人の道に外れなければOK(まずやってみて問題あったら変える)みたいな考え方がある。もう無人のUBERが走ってる地域もあるわけで、とにかく実験ができる」一方で、「日本はホワイトリスト方式で、何か成功事例があればこっちも許可しましょうとなるけど、何となく不安があるとトライすることも許されない」と。これがやはり未来を阻害すると。

思えばクレームの話なんかにしても日本では少数のモンスターっぽい人が「うるさい!やめろっ!」と言えば、多くの人が楽しみにしている祭りも仕方なくやめることになったりする。コモンセンスが希薄というか、そういうシステムになっている。

こういうところは、日本において土地の所有権がとても強い力を持つ法体系になっていることとも共通している気がする。日本では所有者が強いから、その土地のある地域を全体としてこうしていこう、というのがとてもやりにくい。

ちょっとでも誰かの利害に損があるとなると「財産権の侵害だ!」という話になったりして、実際にその主張は裁判でも(他国に比べて)通りやすい。結果、地域全体の状況改善は進まないことになる(もちろん、個人の権利は大事であってあくまでバランスではあるのだけど)。

こういうことを一つ一つ取り除いていくべきなんだと思う。 新しいことを実験するにしても、トライアンドエラーにもう少し寄せていい。エラーというのが怖がられるので、トライアンド◯◯(前進とか修正、的なやつ)といった別の言葉が必要なのかもしれないけど。だけど問題は、トライをしないことがむしろ大きなエラーを生んじゃう、っていう話。

とはいえ日本でも例えば国交省なんかは道路に関する「社会実験」の制度というのは一応ある。「まずはそれ、期間限定で試してみよう」というやつ。それでうまくいけばオフィシャルに制度を変えていくことになる。これも90年代の終わりから始まった考え方で、欧米よりだいぶ遅いのではあるが。(参考:http://www.mlit.go.jp/road/demopro/about/about01.html)

そういえば最近、建築家の西村浩さんが言っていた。「日本の都市はどんどん実験しなければならない。100億のビルを建てるなら、100万でできる実験を1万回もできるのだ」と。

妄想家の皆さんは、制度のことも学んでどんどん実験を仕掛けていきましょう。